西  暦

和  暦 摘          要

紀元前4000〜
   3000

  穴居時代は、住居の敷物として、羽毛、毛皮、干草等を敷いた。

2000年頃

  縄文土器の底に、イ草のような野草で編まれた、織物の圧痕が認められる。
土器の発見例がある。(青森県十面沢遺跡出土)

紀元後
300〜400年頃

  鉄製の矢じりに、イ草のような野草織物で巻いた組織が残ったもの出土。(月の輪古墳)
畳表風織物付着の木棺片出土(庄村王墓山古墳)

607年頃

推古15年頃 中国を通じて、ササン朝ペルシヤの錦や、唐製の敷物、龍びん莚等が輸入献上された。

701年

和同3年 唐風の宮殿の床の上に円座を敷いたり、狭畳等を使用しだした。

724年

神亀元年 聖武天皇、光明皇太后は、畳表や畳床作成品使用さる。

756年

天平勝宝八年 光明皇太后が東大寺に献納された献納目録(国家珍宝帳)の中に「緋地錦端畳」がある。
床芯にマコモ製の莚を六重にし、表面に藺筵をつけ、錦のへりをつけたものである。
 (現物  正倉院 蔵)

800〜900年

  1.平安京の町割 
   一町四方を三十六帖として、道幅四帖を加えて四十帖とし、これを六等分し、柱厚等 を差引き、六尺三寸間の京間の割り出しとした。
2.畳表の原型
   わらぐみ、ねこかき、ねこだ、束並等が一般庶民の間に使われだした。

902年

延喜2年 山城国でイ草の栽培が記録に見える。(延喜式)
山城国に藺田を設け、掃部寮の直営で刈取り、製織も行われた。
諸国の調庸に藺製品があり、その山地に山城・河内・美濃・上野・能登・因幡・伯耆・筑前・筑後・肥後がある。

1191年

建久2年 後白川院領備後河北荘  年中課役畳21枚
        備後太田荘  半畳12帖

1192年〜
  1333年

建久3年〜
  元弘3年
鎌倉時代、質素になった武家造り住宅の板の間に、円座、畳を局部的に敷いた。

1338年

延元3年頃 この頃より畳を敷きつめた書院造り風住宅興る。
長、短、狭、半、薄帖等、多種類を生じた。

1460年

永禄4年 「大乗院寺社雑記」に「備後筵10枚代一貫200文(120文宛)、外備後表20枚」とある。

1483年

文明15年頃
 八代
 名和時代
茶道の発展と共に、畳を縦横に駆使する時代。
八代猫谷村瀬戸石に鎌倉時代から生産されていた「瀬戸筵」(七島藺)を名和氏が八代荘地頭として、古麓城に入るや、領内の特産品に注目し栽培させた。(麓の七島ムシロ)

1504年

永正元年 興善寺城代相良伊勢守与力岩崎主馬忠久、太牟田城(上土)城主となる。

1505年

永正2年 岩崎主馬、城下(古閑、渕前)に、イ草栽培を創始す。
太牟田表の始まり。(大法寺由緒)

1516年

永正13年 天下大いに飢饉、一郷の民藺筵の為、飢を免れる。(大法寺由緒)

1602年

慶長7年 福島正則 備後表を将軍家へ献上するしきたりをつくる。

1632年

寛永11年 徳川幕府に畳奉行ができた。

1636年

寛永13年 肥後(細川)藩 畳表の使用についておふれを出す。

   在中縁付之畳を敷候儀 御先代より当時御法度之事に候。
   然処 七島表へり付畳の儀は利勘にも相成候事故今度御赦免被仰付候。

   尤 備後表、太牟田表之類総て藺表儀堅御法度に候。
   兎角不依何事 御百姓少にても隙をふさぎ申様に 常々
   御郡中心を付加被申旨仰出候事。
     寛永十三年七月廿四日
     河喜多 五郎右衛門
     椋梨 半兵衛
     御郡中    沖津 作大夫  

1696年

元禄9年 畳奉行、組頭、世話役、手代、同心等敷物に関する幕府の官制が整備された。

1697年

元禄10年 「農業全書」にイ草ドロ染の記録あり。

1750年頃

文政3年 細川霊感公がイ草栽培、製織を奨励

1790年

寛政2年 熊本城下 紺屋町、西古町で「太牟田表」が取引される

1820年

文政3年 記録によれば、太牟田地方でイ草の作付面積は32.9町であった。

1830年

天保3年〜頃 北吉王丸 吉田角之允商店
 ゴザ表売上帳より 販路覚
  ・肥前八丁馬場古賀○○  ・嶋原籾屋金右ヱ門  ・八代町長崎屋平助
  ・長崎西浜町雪屋  ・長崎船問屋井戸屋利兵衛  ・熊本西古町板屋次太衛門
  ・その他

1856年

安政3年 イ草栽培地を太牟田、新牟田、上土、新開、下村の五ヵ村に限定さる。(藩奉行)

1868年

明治元年 イ草自由耕作が許される。

1874年

明治7年 イ表集荷販売「太牟田会社」設立 (伊藤家文書)

1876年

明治9年 肥後い筵同業組合設立
全国勧業博覧会に有佐(下村)から イ表1枚、ザブトンゴザ2枚出品

1889年

明治22年 八代郡内イ草作付面積  44.5町

1896年

明治29年 肥後花筵KK(千丁村) 創業

1901年

明治34年 八代郡畳表組合結成(千丁村)  組合員354名

1907年

明治40年 肥後藺筵同業組合

1910年

明治43年 野口式足踏機が入る(1日3枚)
          手差し(1日1枚)

1911年

明治44年 八代郡内イ草作付面積  140ha

1922年

大正10年 「八代表」が全国的に知られ
イ草栽培面積全国4位   187.7ha

1928年

昭和3年 動力織機(岡山浅越商会で機械化)

1935年

昭和10年 動力織機使用者による「熊本県花筵畳表工業組合」結成
組合員473名

1936年

昭和11年 千丁村に県農事試験場い業試験場が創設
県下栽培面積  535ha
1940年 昭和15年 動力織機400台となり戦前の最盛期となる。全国7,400ha、生産量79,000t、藺草・畳表・ゴザの公定価格告示される。
1945年 昭和20年 熊本県農業会藺製品の販売業務に着手。
1948年 昭和23年 県営検査が再開される。藺草及び藺製品の販売価格及び統制額が指定される。
1951年 昭和26年 「岡山3号」奨励品種になる。栽培技術の革新で面積増えるが品質の向上が急務。熊本県物産見本市が東京で開かれる。

1952年

昭和27年 県下栽培面積  1,393ha
1953年 昭和28年 県販購連が畳表の一元集荷。県営検査を強化。農薬の発達。八代産業祭と畳表製織競技会が開かれる。

1954年

昭和29年 全国い業者大会を八代で開催。
1956年 昭和31年 県条例による藺製品検査廃止、自治検査(組合検査)へ。普通刈栽培の先刈を指導。肥後表異常高値。機械の更新目立つ。

1959年

昭和34年 畳表加工自動製織機に移行。
1960年 昭和35年 技術革新が普及する。第二乾燥を火力で行う。早刈栽培の先刈を指導。
1961年 昭和36年 い製品類が自由化される。
1963年 昭和38年 藺草倒伏防止網の普及が始まる。火力乾燥機による藺草仕上乾燥法指導。
1964年 昭和39年 原草が輸入自由化される。全国の栽培面積が史上最高の12,300haとなる。
1965年 昭和40年 藺業生産振興会設立。
1966年 昭和41年 球磨地方でい草栽培始まる。
1968年 昭和43年 熊本県の栽培面積が3,880haとなり全国1位となる。全国藺業団体中央会設立される。

1968年

昭和43年 県下イ草栽培面積  3,880ha(全国1位)
1969年 昭和44年 先刈機の普及。球磨地方に織機導入。

1972年

昭和47年 い草刈り取り機の普及 大型乾燥機普及のきざし
畳表に農林規格できる
1972年 昭和47年 藺草刈取機の普及。大型乾燥機普及しはじめる。
1973年 昭和48年 畳表に日本農林規格(JAS)ができる。

1975年

昭和50年 熊本県農協藺製品市場が開設 「熊本1号」県奨励品種
県下栽培面積5050ha

1978年

昭和53年 い草ハーベスター(刈取機)が登場 「きよなみ」県奨励品種
1979年 昭和54年 第2次オイルショックでい草燃料に混乱。17回生産流通会議開催。
1980年 昭和55年 価格下落で12農協が原草焼却を実施し、品質向上の意向を示す。全い連発足。
1981年 昭和56年 八代市い業振興協議会発足。

1982年

昭和57年 (社)県い業経営安定基金協会発足

1983年

昭和58年 「くまもと畳表」を証明する県証糸を導入

1984年

昭和59年 い草優良品種「くまがわ」県奨励品種に採用
県下栽培面積5520ha

1986年

昭和61年 い草ハーベスターが本格普及する
1988年 昭和63年 畳表消費宣伝のためのキャラバン隊を派遣(大阪・京都・東京など)。
1989年 平成元年 試験研究機関の整備統合により、農業研究センターい業研究所が発足。

1990年

平成2年 県育成品種「しらぬい」を育苗登録し、県奨励品種に採用される

1992年

平成4年 千丁町農業協同組合畳表検査機が導入される

1994年

平成6年 い草移植機のモデル導入を開始

1999年

平成11年 い草奨励品種「ひのみどり」本格栽培

2000年

平成12年 JAやつしろの畳自動製造工場「畳工房やつしろ」が千丁町に落成